DISCOVER JAPAN

今から約30年以上も前の昭和50年代 若者達は当ての無い旅を続けていました。
カニ族、ビートニック、バックパッカー、諏訪瀬島、マリファナ、LSD、青函連絡船、輪行サイクル、キャンピングサイクル、ディスカバージャパン、フリージャズ、アングラ、天井座敷、新宿ゴールデン街、しょんべん横丁、ジョンデンバー、マイルスディビス...

その頃の思い出の写真を少しだけ掲載する事にしてみました。
写真は数十年の歳月と共に多数が紛失してしまいましたが、この思い出は今でも記憶の片隅にしっかりと鮮明に焼き付けられています。

1949年ではありませんよ! あくまでも昭和49年、昭和です(w)
この時代は函館ー青森は青函フェリーを利用すると、人と自転車を合計するとナント! 600円で津軽海峡を渡る事が出来たんですね。
今では東日本フェリーという会社名もすでに無くなってしまいました。


これが当時の高校生のイケてるファッションです(ウソです)
オヤジが煙はいてる図ですね、しかもキセルパイプというサイケデリック甚だしい。
どうみても... イカレタ ガキタレですね(w)
ファッションではVANとJUNが若者のステータスとして持て囃されていましたが、ワタクシはこの当時からアイビーでしたのでVANのロゴ入りスケボーとかの非売品グッズは高校生のくせに、それなりにコレクションしていました。
周りはカニ族(リュックサックを背負って旅する派)、バイクツーリング族で、溢れかえっていました。
サイクル派はフェリー一隻に5人位でしょうか、まだまだ少なかったですけど、ロードレーサーでリュックを背負って北海道一周とか、輪行ランドナーで鉄道併用で北海道一周とか、形態は様々でしたね。 
ヒッチハイクで北海道一周ってのも結構居ましたからね。

これから地獄が始まることを何も知らないでいるアホ2名がフェリーで寛いでいたのでした...


高校最後の夏休みを30日間全部使って北海道一周の自転車旅をやってしまいました。
当時、乗っていた自転車は片倉シルクキャンピング SC-15の1971年製(位?)でスギノ鉄コッタードクランクとか重い重い鉄製パーツてんこ盛りのモノでして、荷物を含めた総重量はおよそ60kg。
自転車だけには拘りが強くて、標準装備のギドネットレバーが嫌いで仏製マファックの半パッドのブレーキレバーを通販で注文して交換してみたり、バーテープの色に飽きると1ヶ月も経過しないうちに交換してみたり、真っ白なサイドバッグの色がカッコ好いという主観的判断でサイドバッグ2個をほとんど原液に近いハイター(漂白剤)に漬け込んで脱色させてみてから後悔してしまったり(ゴワゴワになって劣化してしまい北海道半周で破けて使い物にならなくなってしまいました)
当時の高校生には軽量なキャンプ用品などは揃えられる訳も有りませんでしたが、この頃からキャンプはやってましたので新規に購入しなければいけないという事は有りませんでしたが、衣類がオールコットン100%でかさ張るし、濡れたら不快だし、暑いとベタベタで、結局、衣料生活用品持ち逃げ高校生自転車夜逃げ状態(w)となり自転車への負荷も強烈で、30日間でパンク修理は15回程、転倒? 数え切れません。
自慢じゃないがパンツはめんどくさいから7日間換えないこともあり、福助印のオリジナルカラーパンツになってました。
7日後にクルマが渋滞でノロノロ行き交う道路横の滝で、すっぽんぽんで体と頭とパンツを石鹸でシャポシャポ洗いました。
クルマに乗ってる女性、子供達に受けたこと受けたこと。 わっはっはっはっは!!!!
って、今の時代だったら軽犯罪法でパトカーですぐ連れて行かれた事でしょうね(w)   


こんなバカみたいな上り坂が延々と続きますが、いい加減にしろ! コラ!
どこまで登らせたら気が済むんじゃい!!
然しながら30年以上も前に北海道には自転車用道路が存在していたんですよね。
内地(本州の事です)も大いに見習えたまえ!!


げっしぇっしぇっしぇっ! 同じく北海道一周での札幌大通り公園。
バイク旅、ヒッチハイク、ヒッピー、浮浪者(?)ありとあらゆる若者達が、この公園を不法占拠し常宿としていました。 夜ともなるとすすき野の歓楽街に足を運び、ジャズ・ロックのライブハウスで狂乱したのでありました。 
ちなみに最右側に写っているのが、今でも付き合いのある35年来の親友(東北特集“カイ”参照)ですが、彼は札幌から青森のねぶた祭りに参加するため途中で帰途に着きました)


重装備状態のキャンピングサイクルとの記念写真。 私の自転車は片倉シルク SC-15の極めて初期型のホトンド、鉄製の部品でコンポーネントされている代物で、2年後位に買った相棒のは、同じSC-15ですがサカエの3アーム軽合チェンホイルとかプラスティックの懐中電灯(今では私の金属製の方がレア品ですが)など軽合部品とかを多用してメジャーチェンジしていました。
寝る場所が有りそうな場所があったら、道のすぐ脇でも、どこでもテントを張ってしまいました。 この装備で1日100kmを走っていましたから、完全爆睡状態!! 危険!熊に注意って書かれている看板のある所でも、平気で寝ていましたね(この時代の看板って手書きでしたから変にリアリティ有り過ぎでした)
今、考えてみても、とても恐ろい思い出です(w)


出ました!! 懐かしの三角テント こんな時代があったんですね−−−!!
確か北海道上陸後、間もない長万部あたりを走っていて、パンクしたので、もう今日はここでキャンプしようということで、早々に住宅地の中の空き地(w)を見つけ、テントの設営をし、パンク修理を始めたと記憶にあります。
周囲には一戸建て住居がポツポツ有りましたが、こんな空き地でも何の苦情も無くキャンプが普通に出来たんです。

このテントで白神山地でのキャンプもした事が有りましたが、強風と豪雨でテントの中を勢い良く雨水が流れている光景を見てしまいました。

今と違ってグランドシートは無いテントなので地面に直接寝袋を敷き、中で炊事調理をしていました、

この北海道一周では、このテントの綿100%の凄まじい威力によりテントの中で焚き火(飯ごうで薪を使って米を炊いていた極めて原始に近い炊事を敢行)を何度も行いましたが全然燃える事は有りませんでした!!

暗い夜、焚火をしながら、ウイスキーを飲んで(高校生だろ!)、平凡パンチのグラビアに興奮し、ラジオのオールナイトニッポンで山本コータローの岬めぐりを親友と二人で楽しんだ毎夜でした。

古き良き時代。


雪印且D幌工場前でのワンショットですが、ここへ来るとメシ代が一食分タダになるという事と、旅の携行食料がやはりタダで仕入れられる。という情報を札幌大通り公園泊まりの仲間達に教えられて、やって来たのでありました。

帆布製で作られたバッグを帰り際に手渡され、雪印のでっかいシンボルマークが印刷されたその中には色々な商品が詰め込まれており、とても嬉しく帰った記憶だけが今でも残っています。


これに味を占めてしまった私としては、今度はサッポロビールへと向かったのでありました(w)
いやぁ ここも素晴らしかったですねぇ ビール飲み放題(約5分間位)で、おつまみまで備えられていてガバガバいきました。
外に出てから、また、工場見学の列に並んでみると、みんな同じ顔ぶればかりだったのが実に印象的でした(w)。

また、サッポロビールのお姉さんが “こっちに並ぶと早く入れるよ!” と、見るからに貧相な旅をしている私達に手招きしながら小声で言ってくれたので、旅で出会った連中みんなでニコニコしながら列をお姉さまの助言に従って移動しました(w)

なんとも古き、よき時代...


カムイコタンへとやって来ましたが、なんでここで写真を撮ったかは今ではもう記憶の中に有りませんが、ディスカバージャパンの流行でやたら人ばっかりが多かった事だけは覚えています。

旅も後半になってきており、どんどん身軽な状態になっていった事と、サイドバッグ2個が転倒と重量オーバーで破けてしまい、最後には使わない荷物を小包で家に送り返して、この様な装備スタイルで走っていました。

北海道一周の旅、たまにはユースホステルも利用しましたが、食事込みで2千円ちょっとでしたから、今思うともっと利用しても良かったかなと思えますが、それ以上に安い食費・予算で計画していたんでしょうね。 

今ではすっかり忘れてしまいました。


ON THE ROAD